2022年04月05日

ご挨拶を申し上げました


 過日、芥川賞・直木賞の贈呈式が行われました。その際のスピーチの一部は報道でも伝えられましたが、そのほかの部分について、こちらでざっくり要約します。



 読者の皆様、選考委員の諸先生、関係者の皆さまにお礼申し上げます。とりわけ、私にはこの小説が書けると私よりも強く信じて下さった担当編集者さん、すべてを支えてくれた妻に、別して感謝を捧げます。
 拙作が遠くまで飛んで行ってしまい、私自身は仕事部屋の窓から、自分の小説が飛んでいくのを見送っているような気分です。

 私は『黒牢城』をミステリとして書き、ミステリとして万全を期すため、十六世紀日本の文化や慣習、人の心を精緻に描こうとしました。一休禅師のものと伝えられる「分け上る麓の道は多けれど同じ雲井の月を眺むる」という道歌に似て――どうも本人の作ではないようですが――、ミステリという登山口から上り始めても小説の普遍性という大きなものに触れることは出来るのだと、肯定されたように感じています。

 よきミステリであろうとした『黒牢城』は、その必然的な結果として、組織や軍事、統治についての小説としても書かれることになりました。ただ私は書いてゆく中で、もう一つ、当時の人々が何を恐れ何にすがったのか、すなわち信仰についてどうしても描かなければならないと感じつつ、それをためらいました。読者がそれを喜ぶだろうかと思ったからです。
 しかし私は、『折れた竜骨』が山周賞の候補になった時の選評を憶えてもいました。

 そこでは、浅田次郎先生と篠田節子先生が異口同音に、この小説は思想や精神を書くべきだったと指摘されていました。北村薫先生が、この小説は本格ミステリであることが思想なのだと仰って下さったことを嬉しく思い、私自身、『折れた竜骨』はあれで完成なのだと考えています。しかし一方で、もしいつの日か再び中世人を扱うことがあるならば、当時の人々の心の柱を書くことを恐れるまいと誓ったことを、思い出したのです。
 おそれを捨て、誓いを果たせたことを、嬉しく思います。



 ありがとうございました。

posted by 米澤穂信 at 00:00| お知らせ