2019年07月22日

「わたしキャベンディッシュ」


掲載誌:「オール讀物」2019年 8月号
発売日:2019年7月22日


 こどものころ、桜を見せるためわたしを連れ出した母が、この木は子孫を残せないのよと教えてくれた。いちばん美しい花を咲かせるように人間が手を加えて、そしていちばん美しい花を咲かせるようになって、その代償として殖える力を失ったのだと。わたしはその話が好きだった。恐ろしいような気もしたけれど、それ以上に、ヒトにそれほどの力があるということが嬉しかった。



「オール讀物」の企画「妖し」に寄稿した短編です。

 運びやすく剥きやすく種もなく、調理にも適し、甘く、ヒトの生命を維持するのに充分なカロリーを備えた天からの授かりもののような植物、バナナ。しかし現在、世界で栽培されているバナナはすべて単一の遺伝子から成っていて、それゆえに新しい病気が発生すればたちどころに全滅してしまうおそれがある。そのため世界中でバナナの品種改良が進められているが、それはヒトの手によって種子を作らなくなったバナナにヒトの手によって子孫を生み出させようとする、エゴイスティックな試みである。
 アメリカの果物大手フルテーラ・インペリオ社もまた、バナナの品種改良を続けていた。生育北限に近い宮崎県の研究所に雇われた「みのり」は、持てる限りの知力と体力を研究に注ぎ込む――生活を省みることなく。「みのり」にとってはすべてが研究の礎である。自らの生活の破綻さえも、例外ではないのだ。

posted by 米澤穂信 at 00:00| 雑誌等掲載短篇