カボチャのリゾットを作るときレンジにかけたカボチャを潰すのですが、それが甚だ面倒なので文明人らしく電気の力を借りようと思い電器店に行ったはいいものの、ミキサーとジューサーとミルサーとフードプロセッサーの違いがわからず困り果てました。
そこで店の人にお尋ねしたところ、以下のような回答を得ました。
「ミキサーは混ぜるものです。ジューサーは搾るものです。ミルサーは挽くものです。フードプロセッサーは食べ物を加工するものです」
日本語能力に挑戦されたような気がしました。
結局何も買わずに帰って来ましたが(日本語能力の敗北です)、カボチャを潰すにはどれを買えばよかったのでしょう。
これだけでは寂しいので、もうちょっと書きます。
何とか時間を見つけて、少し離れた禅寺に行ってきました(メインの用件は他にあったんですが)。その時のことを少々。
お寺の近くには大きなアーチ状の橋がありまして、ここでは金魚を売っていました。
その金魚は別に飼うために売っているのではなく、放生するため、つまり逃がすために売られていました。人間に捕われた生き物を解き放つことは「徳」であるという仏教的な考え方に基づいた商売です。「浦島太郎」や「鶴の恩返し」なんかでもおなじみのシステムですね。
そういえば江戸時代には、逃がすための「放ち鳥」や「放ち亀」を売る商売があったと聞いたことがあります。放たれるために捕われた(あるいは養殖された)生き物でも、放てば徳になるというのは面白いものです。
もちろん言うまでもなく、本当に動物たちを傷つけまいとするなら、最初から捕まえない方がいい。しかし、「放生は徳」というルールは、必ずしも動物愛護のためにあるのではありません。あくまでも「放てば放った人間に徳ポイントが入る」という点が重んじられています。おそらくそれゆえに放生という習俗は現代では廃れてしまいましたが、どこかの寺ではいまでも「秋の徳々ポイントアップキャンペーン」こと放生会を営んでいるそうですね。
雨月物語の中に、魚を漁師から買って放生していた坊さんが死に際して金鯉の服を与えられ、一匹の鯉となって琵琶湖に遊ぶという話がありました。私も金魚を逃がせば、金鯉とまではいかずとも、あるいはいずれウグイの服ぐらいはもらえるかもしれません。
そんなことを思いながら禅寺に行くと、お堂にこんな掛け軸がありました。
別の場所で雨月のことを思い出した後で、この言葉に会うとは面白いものです。
江月照松風吹。永夜清宵何所為、と続きます。雨月物語中のボーイズラブその2、青頭巾にも出てきました。
この句の意味がわかると、禅スキル的な意味でいいことがあるらしいです。もしかしたら徳ポイントにボーナスがつくのかもしれません。ははあなるほど、と思いながら見ておりまして、ふと振り返るとそこにも掛け軸が。
うんうん、江月照松風吹。
などと頷いてはいけません。思わず二度見してしまいました。
これ、違うじゃないですか。江風が吹いて松月が照らしてるじゃないですか。
誤植?
誤植なのか?
インド人が右なのか?
こ、これはたいへんです! たすけて校正さん!
しかし思えば、禅とはとらわれない心的なナニカらしい。こんな些事に心乱れているようでは、徳ポイントの入手はおぼつかないような気がしないこともありません。
そう考えればあの掛け軸、あるいは来客の禅スキルを試す巧妙な罠だったとも考えられます。
私はまんまと引っかかってしまいました。これからこの寺にお参りに行く方は、どうぞお気を付けください。
どこかに「江風吹松月照」という言葉が実在して、私がそれを知らないだけかもしれませんが。それもまた、ありそうなことです。