「小説を書いていて、気分転換にはどんなことをしますか?」
「小咄を書いて遊びます」
こんにちは。米沢穂積です。
仕事が立て込んで、夕食を食べ損ねました。
普段なら家に帰って適当にあるものをつまむのですが、ふと思いついて、最近オープンしたばかりの「こだわりのらーめん屋」に行くことにしました。道路沿いに赤提灯型の看板を出していて、前から気になってはいたんです。
看板にひときわ大きく書かれていたので勘違いしたのですが、「こだわりのらーめん屋」はあくまでキャッチフレーズで、「ジュゲム」というのが店の名前のようでした。
威勢のいい「いらっしゃっせー」に迎えられて入った店内は、黒を基調に古い木造建築を模していて、壁には何やら大きなパネルがかけられていました。パネルには極太の筆で(あるいはそう見えるフォントで)、いかにこの店の店長がラーメンに人生を賭けているか、またラーメンが人生を賭けるに足るものであるか、私の胸までも熱くするほどに情熱的な文章が書かれていました。
座面の丸い回転椅子に腰を下ろすと、輝くような笑顔の男の子が水を持って来てくれました。
「らっしゃっせ! ご注文は後ほどにいたしますか?」
「いえ。ラーメンを下さい」
「ラーメン一丁、かしこまりました!」
そして彼は、伝票を取り出し鉛筆を構えました。
「まず、麺のゆで加減にお好みはありますか?」
なるほど、いま、そういうお店も多いようです。
「いえ、普通でお願いします」
「麺のゆで加減普通で、かしこまりました!」
「大盛サービスとなっておりますが、いかがなさいますか?」
空腹ではありますが、大盛ラーメンを食べるような時刻でもありません。
「並でお願いします」
「量は並で、かしこまりました!」
「ネギは白ネギを使っておりますが、青ネギに変更できます」
どういうラーメンなのかわかりませんが、まあ、青ネギの強い香りが合うか試すのは後日でもいいでしょう。
「いえ、普通の白ネギでお願いします」
「ネギも大盛に出来ますが」
ちょっと悩みましたが、大盛と言っててんこもりになって出てきては困ります。
「普通でお願いします」
「ネギ普通で、かしこまりました!」
「海苔を岩海苔にも変更できますが、いかがなさいますか?」
海苔を添えたラーメンも久しぶりという気がします。岩海苔も好きですが、今日はぱりっとした海苔の気分です。
「普通でお願いします」
「海苔普通で、かしこまりました!」
「海苔はラーメンにお乗せしてよろしいですか?」
なるほど、確かに湿気るのを嫌って、別に添える手もあるわけです。それも面白そうですが、やはりそれではラーメンらしくない気がします。
「乗せてください」
「海苔乗せで、かしこまりました!」
「麺はふつうの縮れ麺の他に、中太麺、細麺もお選びいただけますが、いかがなさいますか?」
そういうお店も、増えているようです。
「普通の縮れ麺でお願いします」
「縮れ麺で、かしこまりました!」
「縮れ麺は手もみと機械揉みがございますが、いかがなさいますか?」
どう違うのでしょう。大した違いはなさそうですが、いちおう、
「手もみでお願いします」
「手もみ縮れ麺で、かしこまりました!」
「お好みで背脂を振りかけることもできますが、いかがなさいますか?」
こってりが好きな方には嬉しいサービスかもしれませんが、いまはいらない気分です。
「いえ、いりません」
「背脂ぬきで、かしこまりました!」
「煮卵はおつけしますか?」
ラーメン屋に入った時点である程度の覚悟はしていますが、なにしろ夜も遅いですから、ちょっとカロリーは控えたいところです。
「いえ、いりません」
「煮卵、ゆで卵とお選び頂けるんですが」
つい誘われそうになりますが、ここは意志貫徹です。
「いえ、いりません」
「卵ぬきで、かしこまりました!」
「サービスライスが50円でお出しできますが、いかがなさいますか?」
ラーメンライスという響きには郷愁を憶えますが、やはりそんなには食べられそうもありません。
「いえ、いりません」
「ライスなしで、かしこまりました!」
「150円でチャーハンセットにもできますが、いかがなさいますか?」
ぱらりとした炒飯なら食べたい気もしますが、やはり今度にした方が良さそうです。
「いえ、いりません」
「チャーハンなしで、かしこまりました!」
「紅ショウガが乗りますが、よろしいでしょうか?」
ああ、なんだか懐かしい感じですね。特に好きというわけではありませんが、取っていただくほど嫌いでもありません。
「はい」
「紅ショウガありで、かしこまりました!」
「かしこまりました! お客さま、もしTeaポイントカードをお持ちでしたら、ポイントをおつけしますが、お持ちでしょうか?」
実は持っているのですが、財布から出すのも面倒です。常連になってからポイントを溜め始めても遅くはないでしょう。
「いえ、持っていません」
「かしこまりました!」
「お客さま、もし当店のポイントカードをお持ちでしたら、先にご提示頂くと大盛五十円引きほか、お得なサービスをご用意してございますが、お持ちでしょうか?」
昨今、ポイントカードがない店を選ぶのは大変です。そして残念なことに、財布にもカード入れにも物理的な容量というものがあります。
「いえ、持っていません」
「かしこまりました! すぐにお作りできますが、いかがなさいますか?」
「いえ、いりません」
「かしこまりました!」
「味の濃いめ薄いめ、お選び頂けますが、いかがなさいますか?」
そういうお店も多いようです。今回は初めてですから、
「普通でお願いします」
「味は普通で、かしこまりました!」
「200円でビールがセットになりますが、いかがなさいますか?」
車で来ています。
「いえ、いりません」
「ビールなし単品で、かしこまりました!」
「150円でソフトドリンクがセットになりますが、いかがなさいますか?」
欲しくなれば、後からお願いしてもあまり高くならないようです。
「いえ、いりません」
「ソフトドリンクなし単品で、かしこまりました!」
「その他、唐揚げや餃子など、お得なセットもご用意していますが、いかがなさいますか?」
食べきれる自信がありません。
「いえ、いりません」
「ラーメン単品で、かしこまりました!」
「当店、スープに甲殻類を使っておりますが、アレルギーなどございませんでしょうか」
ラーメンですので小麦・卵は使っているでしょうが、甲殻類は確かに言われなければわかりませんでした。
「はい」
「スープノーマルで、かしこまりました!」
「チャーシューの脂身、多め少なめ、お選び頂けますが」
背脂をお願いしなかったので、チャーシューはまあ普通でもいいかなと思いました。
「普通でお願いします」
「チャーシュー普通で、かしこまりました!」
「当店、製麺会社は成田屋さんにお願いしていますが、ご希望のお客さまには羽田屋さんの麺もお願いしています。いかがですか?」
と言われましても、差がわかりません。
「成田屋さんのでお願いします」
「成田屋さんで、かしこまりました!」
「その他、何かご希望がおありでしたら、出来る限り承りますが」
いまのところ、何も思いつきません。
「いえ、普通でお願いします」
「特別なご注文なしで、かしこまりました!」
「ただいまお作りいたしますが、三、四分お待ちいただきます。よろしいでしょうか?」
「はい」
「ありがとうございます!」
彼は、手元の伝票に目を落とし、慎重に言います。
「ご注文繰り返します。ラーメン一丁ですね」
「はい」
「ありがとうございます!」
そして彼は、私の注文を正確に厨房に伝えるべく、声を張り上げました。
「オーダー! ラーメン一丁!」
さすがに「こだわりのらーめん屋」、親切で行き届いていることだなあ、と感心しきりだったのですが、ちょっとした続きがありました。
ようやくラーメンにありついて、オーソドックスな醤油ラーメン、なかなか旨そうだと割り箸を割った私のところに、店主らしい強面の男性がやってきたのです。彼は私に向けて、いきなり頭を下げました。
「申し訳ありません! こだわりのラーメンをお作りするはずが、私の教育が行き届きませんで、とんでもない失態を!」
いまにも土下座せんばかりの勢いです。ラーメンがのびるのを気にしながら、私は訊きました。
「どうしましたか?」
「お客さまのご注文はラーメン一丁でしたが、そのラーメンはラーメンではないのです」
「そうですか?」
手元の丼からは、いかにも旨そうな香りが立ち上っています。
「これがラーメンでないなら、いったいなんですか」
店主は悄然として答えます。
「それは、ナミ ナミ シロナミ ナミノリ ノッタ チヂレ チヂレテ アブラヌク ギョクヌキ ハンヌキ ベニサス マヌケ カードモタナイ ツクリモシナイ カラクモシナイシ ウスクモシナイ タンピン タンピン メンタンピン ナミ ナミ ナリタヤ ヒトナミ ラーメンです」
「ははあ」
私は首を傾げました。
「しかし、ラーメンとナミ ナミ シロナミ ナミノリ ノッタ チヂレ チヂレテ アブラヌク ギョクヌキ ハンヌキ ベニサス マヌケ カードモタナイ ツクリモシナイ カラクモシナイシ ウスクモシナイ タンピン タンピン メンタンピン ナミ ナミ ナリタヤ ヒトナミ ラーメンでは、何が違うのですか?」
「何がって!」
途端に店主は、あきれと驚きをあからさまに顔に出し、目を瞠りました。
「お客さま、メニューにあるこの写真が、当店のラーメンです。ナミ ナミ シロナミ ナミノリ ノッタ チヂレ チヂレテ アブラヌク ギョクヌキ ハンヌキ ベニサス マヌケ カードモタナイ ツクリモシナイ カラクモシナイシ ウスクモシナイ タンピン タンピン メンタンピン ナミ ナミ ナリタヤ ヒトナミ ラーメンとはまるで、全然、根本的に違うじゃないですか」
「というと」
怒りを押し殺した声で、店主は言います。
「見ればわかるでしょう。メンマが入ってない」
「ははあ」
なるほど。マヌケ。
「いますぐ、ただちに、大至急でお好みのラーメンをお持ちします。ですがその前に、ご注文を確認いたします……」
「まず、麺のゆで加減にお好みはありますか?」
「いえ、普通でお願いします」
そういえば、近所に中華料理屋のいいところを見つけてから、ラーメン屋ってあまり行っていません。
2012年11月09日
注文マシマシの料理店です
posted by 米澤穂信 at 03:38| 近況報告