2021年01月22日

「ねむけ」


掲載誌:「オール讀物」(文藝春秋)
発売日:2021年1月22日


 人間の観察力と記憶力はあいまいなものだ。時に誤り、時に正確になる。葛は、二人の目撃者の証言が一致したとしても疑問には思わなかっただろう。三人の言うことが同じだったら、少し疑う。そして四人がまったく同じ証言をしたとなれば、それを頭から信じることなど出来はしない。



「オール讀物」に寄稿した短編です。

 強盗傷害事件が発生し、特別捜査本部が設置された。被疑者は数人、中でも特に容疑が濃厚な男がいる。刑事にマークされていた彼は、深夜三時、交通事故を起こした。
 現場の交差点には信号機があった。もし被疑者が信号を無視したのであれば、公明正大に逮捕できる。葛警部補は事故の目撃者を探すよう、指揮下の刑事たちに名じる。そして、目撃情報は集まった……いともたやすく、充分な数が。

 ハードワークゆえの睡魔に襲われながら、しかし葛はひっかかりを覚える。深夜三時の事故に四人の目撃者がいて、その証言が大枠で一致することがあり得るだろうか。
 深夜三時、強盗被疑者は何をしていたのか。証言者たちは何を見て、何を見なかったのか。彼らに繋がりはあるのか?
 葛は、逮捕しないための裏付け捜査を命じ、自らは推理に没頭する。

 ミッシングリンク!
 せっかくですから、葛警部補に先んじて「共通項」の正体を当てられるか、試していただければ幸いです。

posted by 米澤穂信 at 20:57| 雑誌等掲載短篇

2020年12月11日

「桑港クッキーの謎」


掲載誌:「ミステリーズ!」(東京創元社)
発売日:2020年12月21日


わたし、誰にでも公平でありたいと思ったことは、一度もない。



 船戸高校出身の芸術家縞大我が、サンフランシスコ美術展で特別賞を受賞。全国紙でも報道され、テレビでも取り上げられる騒ぎとなり、市はにわかに活気づく。そんな中、小鳩常悟朗は新聞部の堂島健吾から頼みごとをされる。いわく、
「小佐内を紹介してくれないか?」

 新聞部員の健吾は、縞大我の学生時代の活動を調べるうち、縞が残した絵を見つけたのだ。だがそれはロシアの画家の絵にそっくりだった。練習のために模写したのかと思われたが、どうやらこの絵は県展に出展されていたらしい。
 この絵は剽窃なのか? 健吾は卒業生の成功を祝うつもりで、彼の旧悪を暴いてしまったのか?
 剽窃ではないと言える理由が、何かひとつでも見つからないか。健吾は藁にも縋る気持ちで、かつて絵にまつわる謎を解いた(ことになっている)小佐内を頼ろうとしている。

 相談を受けた小佐内は言う。
「いやです」
 まあ、そうだよね、と小鳩は思う。小市民たらんとする小佐内ゆきが、どうして鑑定士のまねごとをしなければならないのか。だけどそこはそれ、人情というものがあるじゃないか!
 ふたりは紆余曲折の末、絵の正体に迫っていく。
 謎のカギを握るのは――サンフランシスコ生まれのにくいやつ、フォーチュンクッキー。


 調査と捜査の面白さを描ければと思った短編です。
 お楽しみいただければ幸いです。

タグ:〈小市民〉
posted by 米澤穂信 at 00:00| 雑誌等掲載短篇

2020年10月06日

「落日孤影」


掲載誌:「カドブン」
発売日:2020年10月6日


「菩提を弔っておりました」
「何者の菩提を」
「此度の戦で果てた者どもの」
「何十何百とおろう」
「はい」



 荒木摂津守村重がいのちを賭けた謀叛は、十二月以降ろくに鑓も交えないまま、静かに終わろうとしていた。有岡城の戦いの敗北は軍事力の敗北であった以上に、政治力の敗北であった。そして城内では、少しずつ、「村重以後」に備える動きが始まる。
 村重は、人心の離反を扇動する「誰か」を一太刀に切り捨てればすべては元通りにうまくいくと信じている。村重の政治的ショーを妨げた一発の銃弾、それがどこから放たれたかさえつきとめれば、何もかも元通りになるのだと……。
 夏が終わる。
 荒木村重と黒田官兵衛の籠城が、終わろうとしていた。

 四章にわたって書いてきた有岡城の物語、その秋の章をお送りします。

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2020年08月07日

「バラ法」


掲載誌:「群像」(講談社)
発売日:2020年8月7日


「豚バラの角煮じゃん」
「じゃん、と来たか……」
「豚バラは禁止じゃなかったっけ」
 在宅勤務に従い通勤の負荷が軽減され、「夫に貫禄がつき、人が丸くなってきたことに対する緊急の措置として」豚肉はバラを禁ずると妻が宣言したのは、わずか三日前のことであった。



 豚バラの角煮を食べるだけの話です。
 本当にそれだけです。


「day to day」に寄稿した「ありがとう、コーヒーをどうぞ」、「小説現代」に寄稿した「里芋病」とたぶん同じ日の、別のふたりのお話です。
 実はこの三篇、同時に書いたのです。おそれに満ちた世相の中で、自宅で読めるものを……という「day to day」の趣旨に賛同し、かなしくない、平凡なものを書いています。

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2020年07月10日

「遠雷念仏」


掲載誌:「カドブン」
配信日:2020年5月10日、6月10日、7月10日


 また、かすかに雷鳴が耳に届く。村重は首を巡らして障子を透かし見るが、夏の日は眩しいばかりに照り、ふたたび夕立が来ようとは思われない。
「遠雷じゃな」
「さようにござる」
「こなたに来ねばよいが。落ちねばよいが」
「さようにござるな」
「……儂は将じゃ。雷が来ねばよいと願うだけでは足りぬ。御坊。有岡の開城は、長島、上月のようであってはならぬ」



 城兵の士気は未だ高く、武具兵粮の備えも充分で、有岡城はまだ一年でも二年でも戦える。だからこそ荒木村重は、戦の終結に向けて交渉を始めていた。交渉の窓口は息子の義父、惟任日向守光秀。使僧を丹波に派遣し、村重は終戦工作を進めていた。しかし惟任家は深入りを嫌ってか、到底村重が呑めない、過大な条件を突きつけてくる。世に知られた名物、銘〈寅申〉を質として渡せというのである。
 村重は、その条件を受け入れ、〈寅申〉は使僧の手に渡った。使僧は払暁を待ち、有岡城を忍び出て光秀のいる丹波を目指す手はずになっていた。

 その夜、使僧が斬られた。
 むくろを検めた村重は、残された荷物の中に〈寅申〉がないことに気づく。あれがなければ終戦工作は頓挫してしまう……。
 使僧を斬ったのは、織田の手の者か? そうとも言い切れない、奇妙な点が村重の気にかかる。

 村重は地下へ向かう。この有岡城で最も優れた知恵者にして囚人、黒田官兵衛に会うために。
 まだしも受け入れられる形で、この戦に敗北するために。

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2020年06月27日

「友情」


掲載紙:「北國新聞」「富山新聞」
発売日:2020年6月27日


 神父さま。私はこの年まで教会というところには来たことがない人間ですが、ここでは懺悔というものを聞いていただけるというので、とうとう来てしまいました。どうか私の話を聞いて、もし出来れば、こんな私にも赦しはあるとおっしゃってください。



「北國新聞」「富山新聞」に寄稿した掌編です。

 ある教会に、男たちが懺悔に訪れる。彼らは罪を犯し、それを悔い、失われた友情に思いを馳せていた。だが彼らは、自らの身に起きたことをすべて知っていたわけではなかった。

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2020年06月22日

「崖の下」


掲載誌:「オール讀物」
発売日:2020年6月22日


  群馬県杉平町杉平警察署に遭難の一報が入ったのは、二月四日土曜日の午後十時三十分のことだった。通報者は鏃岳スキー場でロッジ「やじり荘」を経営する芥見正司で、一一〇番ではなく杉平警察署に直接電話をかけ、夕食までに戻るはずの客が戻らないと訴えた。十時五十六分にロッジに警官が到着し、事情聴取をしたところ、埼玉県上庄市から来た五人連れの客のうち、四人が戻っていないことが確かめられた。



「オール讀物」に寄稿した短編です。

 群馬県のスキー場で遭難事故が発生し、速やかに救助隊が組織された。
 遭難した四人のうち二人は、崖下の谷筋に落下しているのが見つかった。一人はすぐに救急搬送されたが、意識不明の重体である。そしてもう一人は、崖の下に残された。他殺体だったからだ。

 厳冬期、深夜の山中に、第三者がいたというのは考えにくい。犯人は救急搬送された遭難者で間違いない。
 だが、遭難者が犯人だと考えると、一つどうしても解けない謎が残る。……現場に凶器が残されていないのだ。
 遭難者の意識回復を待って事情聴取すれば、わかるかもしれない。だが意識はいつ戻るかわからず、意識が戻った遭難者が素直に自白するとは限らない。

 県警捜査一課の葛警部補は部下に命じ、あらゆる情報を集める。
 果たして「何が」被害者の命を奪ったのか。
 指揮官に、一人で考える時間などほんの僅かしかない。そして葛は、そのわずかな時間に沈思する。


 ハウダニット!
 せっかくですから、葛警部補に先んじて「凶器」の正体を当てられるか、試していただければ幸いです。

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「里芋病」


掲載誌:「小説現代」
発売日:2020年6月22日


 あなたのためを思ってという言葉は、相手を制御したいという毒をどこかに潜ませている。けれど私たちの場合は違うはずだ。



「小説現代」に寄稿した掌編です。

 妻は死を恐れる。自分自身のそれをではなく、身近な人に死の影が射すことをひどく怖がる。
 だから私は、妻に話すことが出来ない。――自分がしばしば、奇妙な汗をかくことを。
 私はこの汗をかく症状をもたらす何かを、「里芋病」と呼んでいる。


「day to day」に寄稿した「ありがとう、コーヒーをどうぞ」とたぶん同じ日の、別のふたりのお話です。

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2020年06月06日

「ありがとう、コーヒーをどうぞ」


掲載誌:「tree
公開日:2020年6月6日


 雨はいつでも降るし、どんな時でも季節は巡るものだ。



「tree」の企画「day to day」に寄稿した掌編です。
 秘密の職場のお話です。

 マグカップはどこにあったか、少々鈍感なのは誰だったかというお話でもあります。

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2020年02月10日

「花影手柄」


掲載誌:「カドブンノベル」2020年 1月号・2月号・3月号
発売日:2019年12月10日・2020年1月10日・2月10日


 武士たるものすべては戦、起き伏しも飯を食うことも、仏のことも宝のこともこれすなわち戦じゃ。されば茶は、茶だけは戦にするまいと思うておった。……が、出来なんだ。



「カドブンノベル」に前中後編で寄稿した中編小説です。

 初戦を防ぎ切り、荒木村重の謀叛は長期化しつつあった。士気を保つために勝利を欲する村重は、城の東側に小規模な陣地が築かれつつあることに気づいた。格好の獲物とばかり村重は夜襲を試み、見事に勝利する。だが、その勝利こそが、有岡城に新たなる危機を生じさせた。

 夜襲に用いられたのは、三部隊。村重が直率する御前衆。降伏開城した高槻城から脱出した、高山大慮(ダリヨ)率いる高槻衆。大坂本願寺の命で有岡城に入った、鈴木孫六率いる雑賀衆である。御前衆は村重を守って攻撃には参加せず、陣を攻めたのは高槻衆と雑賀衆だった。
 陣を築いていた織田勢はまともな抗戦も出来ず、総崩れに逃げ去った。それもそのはず、寄せ手は敵将を討ち取っていたのだ。だが……高槻衆が挙げた首、雑賀衆が挙げた首、どちらが敵将の首なのかが判然としない。

 天下に武名を鳴らす大手柄を上げたのは、果たしてどちらか。
 手柄争いは思いもかけず、南蛮宗と一向宗の争いに発展する。誰が見ても納得する裁定を村重が下さない限り、城内は二つに分断されてしまう。そうなれば、落城も時間の問題である。

 時間は残されていない。村重はふたたび、地下牢の囚人――黒田官兵衛の知恵を借りることを決意する。
 だが官兵衛の興味を引いたのは、「誰が敵将を討ち取ったか」ではなかった……。


 被害者は織田の将。容疑者は夜襲に加わった荒木勢。
 つまり、フーダニットです。

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2019年12月10日

「龍軸経」


掲載誌:「オール讀物」2020年 1月号
発売日:2019年12月10日


 唐天竺の海も案内いたしましょう。凍りつく海、煮え立つ海も見物いたしましょう。いつまでも、どこまでもお心のままにお連れいたします。



「オール讀物」に寄稿した短編です。

 京都生まれのかれは家の事情で引っ越すことになり、船に乗せられたが、ひどい船酔いに苛まれた。苦しみぬいて、ふと気づくと、まわりには誰もいない。とにかく船から逃れたい一心で海に飛び込むと、不思議と五体が水に馴染む。しばらく海に遊ぶうち、魚たちの泳ぎを見るうちに、どうもその自在さが羨ましくなってきた。もっと思うままに遊んで、海の彼方までも見物したいものだと思っていると、海底から龍が現れて、願いをかなえてくれるといった……。


 おそれ知らずにも、本歌は雨月物語、「夢応の鯉魚」です。

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2019年07月22日

「わたしキャベンディッシュ」


掲載誌:「オール讀物」2019年 8月号
発売日:2019年7月22日


 こどものころ、桜を見せるためわたしを連れ出した母が、この木は子孫を残せないのよと教えてくれた。いちばん美しい花を咲かせるように人間が手を加えて、そしていちばん美しい花を咲かせるようになって、その代償として殖える力を失ったのだと。わたしはその話が好きだった。恐ろしいような気もしたけれど、それ以上に、ヒトにそれほどの力があるということが嬉しかった。



「オール讀物」の企画「妖し」に寄稿した短編です。

 運びやすく剥きやすく種もなく、調理にも適し、甘く、ヒトの生命を維持するのに充分なカロリーを備えた天からの授かりもののような植物、バナナ。しかし現在、世界で栽培されているバナナはすべて単一の遺伝子から成っていて、それゆえに新しい病気が発生すればたちどころに全滅してしまうおそれがある。そのため世界中でバナナの品種改良が進められているが、それはヒトの手によって種子を作らなくなったバナナにヒトの手によって子孫を生み出させようとする、エゴイスティックな試みである。
 アメリカの果物大手フルテーラ・インペリオ社もまた、バナナの品種改良を続けていた。生育北限に近い宮崎県の研究所に雇われた「みのり」は、持てる限りの知力と体力を研究に注ぎ込む――生活を省みることなく。「みのり」にとってはすべてが研究の礎である。自らの生活の破綻さえも、例外ではないのだ。

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2019年05月22日

「白い仏」


掲載誌:「オール讀物」2019年 6月号
発売日:2019年6月1日


 あの仏像は家の守り、村の守護、子々孫々に至るまでゆめゆめ動かすべからず



「オール讀物」に寄稿した短編です。

 無人の廃村に移住者を招いてから数ヶ月。簑石に冬が訪れた。
 ある日、甦り課の垂水と観山は、移住者のひとり長塚昭夫に呼び出される。くだくだしい話を要約すると、移住者のひとり若田一郎が秘蔵している仏像を見られるよう、甦り課に便宜を図ってもらいたいということのようだ。長塚は言う、若田が持つ仏像は円空仏、状態次第では観光の目玉になる、と。
 しかし若田は、仏像の公開を頑なに拒む。もともと仏像は、若田が住んでいる家の家主が置いていったもので、若田に所有権はない。それを気にしているのかと問う甦り課に、若田は首を横に振った。
 この仏像は天からの預かり物。あだやおろそかには出来ない、というのである。

 仏像を見たい長塚と、見せたくない若田。両者の綱引きが膠着したある日、若田は甦り課に変わった頼み事をする。
 いまは新築の離れに安置されている仏像を、もともとあった場所に戻したい。そのためには所有者の日記が手がかりになりそうだが、なにぶん量が多く、一人では調べきれない。調べ物を手伝ってくれないかというのである。
 課長が安請け合いしてしまったため、これはさすがに市職員の仕事ではないだろうと思いつつ、垂水と観山は日記の解読に出かける。

 しかしその最中、怪事が起きた。
 たしかにさっきまでスムーズに開け閉めできていたはずの仏間のドアが、いきなり、びくともしなくなったのだ。
 鍵さえついていないドアなのに、押しても引いても開かない。閉じ込められた垂水はパニックを堪えつつ、必死に、なぜドアが開かないのか、どうすれば開けられるのかを考える……。


 少し変わった密室ミステリ、〈甦り課〉の掉尾を飾る一篇です。

タグ:〈甦り課〉
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2019年02月12日

「伯林あげぱんの謎」


掲載誌:「ミステリーズ!」2018年 9月号・10月号
発売日:2018年12月12日・2019年2月12日


 ひとつ。健吾が断言したことだけは、間違いなく事実だと信じることにする。
 ひとつ。この事件に超常現象はいっさい絡んでいないと考える。
 ひとつ。犯人の行動には彼または彼女なりの合理性があると認める。



「ミステリーズ!」に前後編(試食編・実食編)で寄稿した短編です。

 小鳩常悟朗は放課後、新聞部の部室にアンケートを届けに行くよう頼まれました。つつがなく用事を済ませ、帰ろうとした小鳩に、新聞部の堂島健吾がためらいながらこう切り出します。
「……常悟朗。いま、暇か?」
 新聞部では年末用の特集記事のため取材を進めていたが、その最中に奇妙な事件が起きたというのです。堂島はその解決を(いやいやながら)小鳩に頼んできました。友人の頼みとあらばやむを得ないと、小鳩は(嬉々として)事情を尋ねます。
 それは、些細ながら深刻で、単純ながら込み入った……フーダニット(犯人当て)の物語でした。

「ミステリーズ!」誌上で行われた、犯人当て企画のための短編です。
 小鳩曰く、「事件の真相を、ぼくは指摘できる。ぼくと同じ材料を手にしたひとならば、同じことが出来るはずだ。」だそうです。

タグ:〈小市民〉
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2019年02月10日

「雪夜灯籠」


掲載誌:「文芸カドカワ」2019年 1月号・2月号
発売日:2019年1月10日・2月10日


 荒木摂津守様。摂津守様はいったい、なにを斯様に恐れておられるのか。武士の習いを曲げ――織田に楯突いてまで――なにをそれほど恐ろしゅう思うておいでか。官兵衛それが知りとうござる。それを、お聞かせ願いたい。



「文芸カドカワ」に前後編で寄稿した短編です。

 織田信長の家臣にして、空前の出世を果たした荒木村重は、何を思ったか突然叛旗を翻し摂津は伊丹の有岡城に立て籠もった。信長は説得を断念、名だたる将たちに大軍を率いさせ有岡へと差し向ける。
 風雲急を告げる有岡城で、奇怪な事件が起きた。

 荒木方であった大和田城が織田に寝返ったため、大和田城から取った人質、安部自稔の処遇が問題となる。誰もが自稔は見せしめに斬られると思っていたが、村重はその命を助け、かれを牢に入れると宣言する。
 しかし、牢が出来上がるまでの僅か一日のあいだに、安部自稔は殺されてしまう。
 その死に様は、目に見えぬ矢で貫かれたとしか思えない不可思議なものであった。

 自稔の死は仏罰だ、いやあれは村重による成敗なのだ。さまざまな噂が乱れ飛び、将兵は動揺する。
 噂が自分への悪評に変わりつつあることに気づいた時、村重は、この殺人事件を解決して人心を収攬しない限り有岡城は持たぬと直感した。
 しかし村重がどれほど知恵を絞ろうと、自稔殺しの真相は見えてこない。

 有岡城には一人だけ、村重を上まわる知謀の持ち主がいた。
 もう二度と会うこともないと思っていたその男に知恵を借りるため、村重は地下牢へと下りていく。
 地下牢の男――すなわち、黒田官兵衛である。


 雪の密室殺人事件です。
 
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2018年09月17日

「昔話を聞かせておくれよ」


「小説すばる」2018年 9月号・10月号
発売日:2018年8月17日・9月17日


 物語の基本は復讐と宝探しだそうだ。復讐はきな臭いな。宝探しでお互い一席ぶつというのはどうだ。



「小説すばる」に前後編で寄稿した短編です。

 図書委員である堀川次郎と松倉詩門は、これまでいくつかの謎に関わり、その幾つかを解き明かしてきた。そして晩秋のある日、松倉詩門が奇妙なことを言い出した。
「昔話でもしようぜ」
 十円玉を使った賭けに負け、先に話すことになった堀川は、自分の過去の出来事を話す。堀川の話を聞き終えて、松倉もまた、彼自身について語り始める。
 それは、六年前に始まり、いまも続いている「宝探し」の物語だった。

 堀川と松倉、彼らについてのミステリです。

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2018年07月17日

「ない本」


「小説すばる」2018年 8月号
発売日:2018年7月17日


 本を探しているんだ。



「小説すばる」に寄稿した短編です。

 三年生が自殺した。死者の名はいくつも説があり、自殺の方法も幾通りも噂された。
 図書委員の堀川と松倉は、今日も今日とて利用者の少ない図書室で、少しは図書委員らしいこともしたいものだと愚痴を言いながら当番を務めていた。そこに来た三年生が、「本を探している」と言ってきた。
 喜び、どんな本を探しているのかと訊く堀川に、三年生は言う。死んでしまったクラスメートが、最後に読んでいた本を知りたい……。

 三年生は、コンピュータかなにかで簡単に貸出履歴が見られると思っていたようだが、貸出システムは履歴を見られるようになっていないし、そもそも図書委員はそういう問い合わせに答えない。
 しかし、探している本の特徴がわかるなら、探しものの手伝いは出来る。そう伝えると、三年生は本の特徴を一つずつ思い出し始める……。

 手がかりは読者の手の中にあります。
(電子書籍の場合は、ちょっと難しいかもしれませんが)

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2018年06月22日

「守株」


「小説新潮」2018年 7月号
発売日:2018年6月22日


 そこで、ぜひとも聞いて頂きたいのですが、私もまた、切り株を守っていたのではないでしょうか。



「小説新潮」に寄稿した短編です。

 韓非子に、田を耕す男の話が出て来ます。
 ある日、男が働いていると森の中から兎が飛び出してきて、切り株に頭をぶつけて死んでしまいました。
 男はその日から耕作をやめ、切り株を守り始めます。この切り株にぶつかって死ぬ兎を手に入れるために……。

 会社と家を往復する男が気づいた、平穏な日常に刺さっている小さな棘についての物語です。

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2018年06月12日

「安寿と厨子王ファーストツアー」


「ミステリーズ!」vol.89 2018 JUN
発売日:2018年6月12日


 この世が憂きものであるならば、それはなぜだ。この世を憂きものにしているのは、仏か、おのれか。



「ミステリーズ!」に寄稿した短編です。

 岩代の安寿は母親と弟と連れだち、九州に流された父を訪ねようと旅する途中、人買いに騙され丹波の山椒大夫に売られた。厳しい苦役の日々の末、弟だけでも逃がすため、安寿は沼に身を投げた……。
 しかし安寿は、死んではいなかった!
 琵琶を手に、息を胸いっぱいに吸い込んで、安寿はいま山椒大夫に、運命に、憂き世に戦いを挑む。

 安寿がファーストツアーに旅立つまでの物語です。
 商増すと轟音。

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2018年05月21日

「白木の箱」


「STORY BOX」JUNE2018
発売日:2018年5月21日


 おみやげを楽しみにねと笑って出かけた夫が、白木の箱に入れられて、こんなに軽く、小さくなって帰ってくるなんて――。



「STORY BOX」に寄稿した掌篇です。

 原稿用紙五枚弱の、本当に短い話です。
 上記引用文が全てを物語っています。

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2018年04月15日

「千年紀の窓」


「たべるのがおそい」vol.5
発売日:2018年4月15日


〈一見して病死だった。デュー(デュー・マクラウド刑事)は早く帰りたがっていて、「これは警察の仕事じゃないな」と二度言った。私も同じ意見だった――机に突っ伏した、ラリー・シューメーカーの顔を見るまでは。彼の顔は曲がっていた。数多くの死体を見てきたが、あれほど奇怪な顔は見たことがない。私は呻き、デューを呼んだ。私が見たものを見て、彼は言った。「神さま」〉



「たべるのがおそい」に寄稿した短篇です。

 西暦2000年のある日、ペンシルヴァニア州の小さな町で、一人の男が命を落とした。施錠されたオフィスで夜中までコンピュータに向き合って仕事をしていたが、とてつもないストレス――怒り、不満、あるいは恐怖――に晒され、心臓が止まってしまったのだ。
 この「ラリー・シューメーカー事件」については、さまざまな見方が存在する。事件を担当した刑事は二人とも世を去ったが、そのうち一人は回顧録を遺していた。その回顧録と新発見の資料からシューメーカー事件の真相へと迫っていくH.B.ライスバレーのレポートを、米澤穂信が初めて邦訳する。
 という短編です。

 昔日の恐怖が、いま甦る。

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2017年12月15日

「紐育チーズケーキの謎」


「ミステリーズ!」vol.80(東京創元社)収録
発売日:2017年12月15日


 九十秒あれば、彼女には充分だ。



「ミステリーズ!」に寄稿した短篇です。

巴里マカロンの謎」で知り合った古城秋桜に招かれ、小佐内ゆきは、古城の中学校の文化祭に行くことになった。小佐内に頼まれ、小鳩常悟朗も同行する。目当てだったニューヨークチーズケーキを堪能し、あとはそれぞれ自由に文化祭を楽しもうと別れた後、小佐内をトラブルが見舞う。
 グラウンドの真ん中で焚かれていたボンファイヤー近くにいた小佐内に、どこからか走ってきた一年生男子が衝突。そして、一年生を追ってきた謎の三人組が、小佐内が衝突の際に「あるもの」を受け取ったはずだと難癖を付けてきたのだ。

 悶着の末に三人組が小佐内を拉致していき、現場に残された古城が途方に暮れていると、たまたま一連の出来事を遠くで見ていた小鳩が駆けつけてきた。
 事情を聞いた小鳩は、小佐内は確かに「あるもの」を受け取っていたのだろうと推測する。受け取り、そして、どこかに隠したのだと。

 場所はグラウンドの真ん中、小佐内に与えられていた時間は九十秒ほど。その条件で、小佐内は「あるもの」を、どこにどうやって隠したのか?
 推理が始まった。


〈小市民〉シリーズの、一年ぶりの短篇です。
 ニューヨークチーズケーキは好きです。

タグ:〈小市民〉
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2016年12月12日

「巴里マカロンの謎」


「ミステリーズ!」vol.80(東京創元社)収録
発売日:2016年12月12日



 楽しみだったの! でも、いまはもう、自分でもどれを諦めたのかわからない……。



「ミステリーズ!」に寄稿した短篇です。

 高校一年の二学期、小鳩常悟朗は小佐内ゆきに連れられ、名古屋への快速列車に乗っていた。とある事情で小佐内の頼み事をひとつ聞くことになり、小佐内は名古屋のパティスリーへの同行を希望したのだ。その店では三種類のマカロンを選べるのだが、小佐内は四種類食べたかったのだ。小鳩を連れていけば、一回で四種類試せる。

 そうして訪れたパティスリーで三種類のマカロンを注文し、小佐内は少しのあいだ席を外した。戻って来たとき、彼女の皿には四つのマカロンが乗っていた。
 頼んだのは三つだったはずなのになぜ? 店員が間違えたのだろうか? まさか! しかしではなぜ、誰が第四のマカロンを置いたのか?

 疑問は多々あるが、小鳩はまず、「どれが後から置かれた四つめのマカロンなのか」を当てようとする。その問いの解決自体は、二人にとってそれほど難しいものではなかった。

 真の問題は、小佐内が「四つめのマカロン」を手に取ったときに浮上する。そのマカロンは、重かったのだ。
 涙を呑んでマカロンを割った小佐内は、その中身を見て、さすがに驚愕を隠せない。
 ……中には、金の指輪が入っていた。


〈小市民〉シリーズの、ひさしぶりの短篇です。
 彼らは変わらないですね。

タグ:〈小市民〉
posted by 米澤穂信 at 00:00| 雑誌等掲載短篇

2016年09月10日

「わたしたちの伝説の一冊」


「文芸カドカワ」2016年10月号(KADOKAWA)収録
発売日:2016年9月10日



 でもそれは、くるしいことです。



 電子雑誌「文芸カドカワ」に寄稿した短篇です。

 神山高校の漫画研究会は二つに割れていた。自分でも漫画を描く人の部活なのか、それとも専ら読む人の部活なのか、活動方針の違いを巡って対立は日々深まるばかりだった。
 そんな中で伊原摩耶花は、漫研の浅沼から同人誌に寄稿しないかと誘いを受ける。部費で同人誌を作り、それを部活の実績として既成事実化することで対立を有利に運ぼうというのだ。自分の漫画が部内の争いに使われることに違和感を覚えつつ、描く機会があるならと伊原は誘いに前向きになる。ただ、寄稿するためには先に何枚描くかを決める必要があると言われ、ページ数確定のために返答はいったん保留することになった。

 しかし企みはあっさりと露見し、浅沼たちは部内の承認も得ずに部費を盗もうとしたと糾弾される。新しい部長は、浅沼たちに条件を突きつけた。烏合の衆の同人誌などどうせ完成はしない、企画が失敗したら、混乱の責任を取って全員退部せよ、と……。
 漫研内部の対立が泥沼と化していく中でも、伊原は淡々と漫画を描き続ける。しかし状況は彼女の自由を許さなかった。
 ある日、伊原の創作ノートが盗まれたのだ。

タグ:〈古典部〉
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2016年08月10日

「箱の中の欠落」


「文芸カドカワ」2016年9月号(KADOKAWA)収録
発売日:2016年8月10日



「福部里志の話なら夜の散歩ぐらい付き合うのも面白いが、副委員長の相談だったら委員会に持ち帰ってくれ」



 電子雑誌「文芸カドカワ」に寄稿した短篇です。

 ある日、夕食に焼きそばを作っていた折木奉太郎に電話がかかってくる。福部里志から、散歩をしないかという誘いの電話だった。折木は何かあると察し、焼きそばをさっさと平らげて里志と合流する。
 初夏の夜、街中を歩きながら、里志は学校であったことを話す。……総務委員会の仕事で生徒会選挙の開票に立ち会ったところ、投票総数が神山高校の全生徒数よりも多かったというのだ。
 誰がやったか、何故やったかはともかく、どうやってやったかを突き止めないことには再選挙もできない。困っているのだ、と里志は話す。
 折木は夜空を見上げ、
「帰った方がよさそうだな」
 と呟いた。

 ハウダニットのミステリであり、古典部の彼らの(比較的)ふだんの様子でもあります。
 高校生はよく食べる、という話でもあります。

タグ:〈古典部〉
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2016年06月27日

「野風」


「ユリイカ」2016年7月号(青土社)収録
発売日:2016年6月27日 雑誌定価:1,300円



 鎌倉が焼け室町が倒れ、何ぞ江戸のみとこしえに栄えようか。瓦解の日こそ満願成就、死ぬぞ、死ぬぞ、何千何万と死ぬぞ。



 雑誌「ユリイカ」の特集、「ニッポンの妖怪文化」に寄稿した短篇です。

 江戸生まれの鉄太郎は、郡代に任ぜられた父親に伴って草木深い鄙の地に移ったが、少々退屈していた。ある日、ふと思いついて天性寺裏の墓地に入り込んだ彼は、流罪の末に果てた加藤光広の墓を見つける。あわれを覚え手を合わせた鉄太郎に、嘲弄の声がかけられる。
「物知らずのこわっぱが、ほざきおる」
 振り返れば、いましも異形の影が山の奥へと駆けていくところ。若年とはいえ新影流を学んだ鉄太郎は、いざとなれば刀に物を言わせるつもりで、逃がすものかと影を追った……。


 本歌は雨月物語から「白峯」です。
 古来名文中の名文と称えられた白峯にならうのは恐ろしいことですが、初読時は解説付きでもわからなかった白峯が学習を進めるに従って一語一語の意味が明らかになっていった喜びを忘れがたく、今回機会を頂き、及ばずながら本歌取りを試みました。

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2016年02月26日

「竹の子姫」


「GRANTA JAPAN with 早稲田文学 03」(早川書房)収録
発売日:2016年2月26日 雑誌定価:1,944円



  父に、和尚に、里の皆にわかってもらおうとは思わない。おのれは竹林や山野を巡る中で、無数の虫たちから、いのちを学んだ。いのちのありようは無数にあることを、誰に教わることなくひとり感得していったのだ。母が死に、乳母が死に、なぜおのれは生きているのか、虫の生き死にを見つめるうちに少しずつ納得することができた。




 ムック「GRANTA JAPAN with 早稲田文学」に寄稿した短篇です。

 美母衣の里の春日長者はたいそうな物持ちで、人も多く使い都と商いをしておおいに富み栄えていた。
 その娘は竹の子姫と名付けられ、母は早くに亡くしたが、気丈に爛漫に育っていた。
 ある日、竹の子姫は蛹を見つけ、ここから蝶が出てくるのだと教わった。それを期に姫は虫を好み、地を蓄えるため山野を巡るようになる。
 無邪気な歳月は速く過ぎ、年頃になった竹の子姫に縁談が持ち込まれる。春日長者に呼び出された竹の子姫は、ふたつのことを言い渡される。ひとつは、決められた家に嫁ぐこと。もうひとつは、薄気味の悪い虫好みをやめること。
 竹の子姫はすぐに答えた。
「嫌でございます」
 それから、姫の人生は一変していく。

 一万字で、という条件を頂いていました。
 子供の頃はよく竹の子を掘ったものです。

posted by 米澤穂信 at 00:00| 雑誌等掲載短篇

2016年01月12日

「いまさら翼といわれても」

「野性時代」(角川書店)収録
発売日:(前篇掲載号)2015年12月12日 (後篇掲載号)2016年1月12日



 いまさら翼といわれても、困るんです。




 雑誌「野性時代」に寄稿した中篇です。

 高校生活二度目の夏休みを楽しんでいる折木奉太郎に、思いもかけず、伊原摩耶花からの電話がかかってきた。
「ちーちゃんの行きそうなところ、知らない?」
 千反田はその日、市が主催するイベントで合唱のソロパートを務めることになっていた。それが、集合時刻を大幅に過ぎても姿を見せないのだという。単に寝坊したのだろうと返す折木だが、どうやらそうではないらしい。
 千反田が合唱イベントの会場に向かうバスに乗るところを目撃した人物がいるというのだ。

 取りあえず会場に向かった折木は伊原の他、合唱サークルの関係者に事情を聞き、千反田を捜し始める。手がかりになるのはバス時刻表、雨傘と日傘、そして千反田がソロパートを受け持っている合唱曲「放生の月」……。

 最新の時刻表を持って現場に駆けつけた里志に、折木は言った。
「だいたいの察しはついてる。捜し出せるさ」



 前後編構成の中篇となっています。
 多くの人物は千反田の居場所を求めていますが、折木が求めているのは、それではありません。

タグ:〈古典部〉
posted by 米澤穂信 at 00:00| 雑誌等掲載短篇

2015年10月22日

「重い本」


「オール讀物」2015.11(文藝春秋)収録
発売日:2015年10月22日 雑誌定価:980円



 あの子はこれから、どんな本を読んでいくんでしょうな。無理に読ませる気はないが、薦める本はつい考えます。




 雑誌「オール讀物」に寄稿した短篇です。

 いったん無人となった蓑石村、現在の南はかま市蓑石にふたたび人を呼び戻そうという試みは、幾度ものトラブルに見舞われていた。
 入居者のひとり久保寺は、アマチュアの歴史研究家として何冊か単著も出しており、入居者の中でも目を惹く経歴の持ち主だった。大量の本に囲まれ、豊かに、そして孤独に暮らしてきた彼の家を、新しく近所に引っ越してきた家の子供、速人くんが頻繁に訪れる。目当ては妖怪を描いた本らしい。久保寺は速人くんの訪問を、内心で嬉しがっているようだった。

 しかしある日、市の出張所に、速人くんが帰ってこないという電話がかかってきた。いつものように「本の小父さん」のところに遊びに行くと言って家を出たきり、戻ってこないのだという。急行した市役所職員が調べたところ、状況から見て、やはり久保寺の家に行ったのだろうとしか考えられないことがわかったが、その久保寺家は堅く戸締まりされている。留守だったのだ。
 速人くんはどこに消えたのか。日没が迫り、各人に焦りが見え始めた時、職員のひとりがふと久保寺の話を思い出す。
 そういえばこの家について、久保寺さんは何か気になることを言っていた……。

軽い雨』『黒い網』に続くシリーズものです。
 前作を踏まえている部分はないので、単独でもお読み頂けるかと思います。

タグ:〈甦り課〉
posted by 米澤穂信 at 23:51| 雑誌等掲載短篇

2015年08月15日

「真実の10メートル手前」


「ミステリーズ!」vol.72 AUGUST 2015(東京創元社)収録
発売日:2015年8月12日 雑誌定価:1,296円



 今回だけは、美しく撮る必要がある。




 雑誌「ミステリーズ!」に寄稿した短篇です。

 東洋新聞大垣支局に勤める太刀洗万智は、名古屋本社に掛け合ってカメラマンを一人借り受けると、名古屋駅から特急「しなの」に乗り込んだ。
 目的は、あるIT企業のマスコット的存在だった女性のコメントを取ること。その女性は会社の破綻に伴って失踪し、あらゆるメディアがその行方を捜していた。太刀洗は独自のルートから情報を手に入れ、どこよりも速く彼女のコメントを記事にしようと目論んでいた。
 彼女の居場所を推理するために与えられた条件は、数分の通話記録だけ。しかし太刀洗はその言葉の端々に、重要なヒントを見出していく。
 やがて到着したある街で太刀洗は取材対象の足取りを追い、徐々に彼女へと近づく。推理の手がかりを隈なく拾い上げ、彼女までの距離は、10メートルを切ろうとしていた。


王とサーカス』と同じく、太刀洗万智が主役の短編になります。
 ミステリとしては、テキスト読解ものということになるかと思います。

posted by 米澤穂信 at 23:20| 雑誌等掲載短篇